記   録

 
■「第9回 若い失語症者のつどい」(東京版)
日 時:2001年9月15日(土)
         12時15分〜16時00分
会 場:神奈川県立かながわ女性センター
           2階”会議室3”
           神奈川県藤沢市江ノ島1−11−1

  首都圏で9回目の「若い失語症者のつどい」
(東京版)は、つどいの呼びかけ人、林健二郎さんの地元、神奈川県藤沢市で行われました。
なかまたさん表紙作成
  集まったのは、失語症者27名(男性19名、女性8名)・ご家族11名・その他の方(STなど)が24名の総勢62名。この内、東京版つどいの初参加の方は5名でした。
  北は北海道・仙台・日立・水戸から。南は高知県からも参加されたたいへん賑やかな、熱気あふれるつどいとなりました。

当日のプログラムは、
1.自己紹介(氏名・年齢・障害を負った時期・原因・後遺症・近況など)
2.体験発表(林健二郎さん)
司会の担当は、てんてんさんでした。
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「第9回つどい」によせて

    藤沢へようこそ!!     江ノ島へようこそ!!

   本日は私の地元での開催であります。それとともに私たちが、STやボランティアのお力をお借りして会を開くことになって、ちょうど一年になります。 2000年9月9日「第4回つどいによせて」をふりかえってみましょう。

「第4回つどい」は、北海道旅行をした3人が中心となって計画、実行されたこと。「つどい」は将来に向かって続けられること。失語症の皆さんのこれからの道のりは必ずしも平坦ではないこと。けれどもこの会があり、友がいることがその主な内容でした。

 今回、顔合わせの後、この会が病後十数年たった私達にとって何なのか、またこの会を通じて私たちができることは何なのか、などについてお話したいと思います。よろしくお願いします。

(呼びかけ人 林 健二郎)
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1.自己紹介から抜粋
 ・9年前に車の事故で頭部を強く打ち、言葉と記憶が変だと感じます。
  病院に行きましたが、以上がないといわれました。時々失敗もします。
 ・最近はボールペンの組み立ての仕事をしています。
 ・発病は昭和63年、脳動静脈奇形が原因でした。
  先週、ST遠藤先生たちと一緒に高知県に行きました。
  今日は、高知の保健婦さんが来てくださったのが何よりの収穫です。
 ・最近は、トラブル続きで少々疲れています。
  この「つどい」にはパワーを補充するために参加しました。
 ・働いていた会社が閉めることになってしまいました。
  現在は仕事を探しています。
 ・私の住んでいるところ(茨城県鹿島郡)はメロンで有名なところです。
ある家族の方からいただいた写真
2.林健二郎さん発表(抜粋)
 「失語症を持って生きる」

●私の役割
 私はつどいのよびかけ人として配電盤の部分に方向性を加え、よりつどいを向上させていきたいと思います。
 そして、私たちだけでなく、次の若い人たちへと渡していきたいのです。
 このつどいはボランティア、失語症者、STの協力でここまで大きくなってきました。大変嬉しいです。今後もつぶしてはならないと思います。

●ボランティアの役割
 現在、黒澤さん、Iさん、てんてんさんはチャレンジャーであり、ボランティアの立場を果たしているといえます。 多くの人、心の闇にいる人をチャレンジャーに引き込んでいきたい。こうして、次々にいろいろな人を引き込んでいくと、多くの人が理解してくれるようになるでしょう。
 そうなれば自分たちも今以上に生きやすくなるのです。

●第二の誕生  失語症者の通る道を考えました。
 まず、病気の直後の「生か死か」の段階。次に、まだ失語症が長く続くとは思っても見なかった「いきごみ」の段階があります。
 失語症が長く続くとわかってくると「悲痛、苦悩」。これに負けると「敗北」の状態になります。
 自分自身を見ようとしない「なれあい」になることもあります。
 そして、絶えず自分の意思で立ち直ろうとする「対決」。この段階の方が一番多いのではないでしょうが。

 やがて、「新生への誓い、挑戦」の段階に到達して初めて、”倒れた日が第二の誕生日”であると気づくことができると思います。
 言葉は不自由でも”言(ことば)”には無限の可能性が秘められています。

●夢、希望、理想
 将来、未来への希望がわくと美しい詩も生まれます。
 これから紹介する黒田三郎の「紙風船」は私が高校生の頃、出会ったたいへん美しい詩です。敗北とか、なれあいの段階では、絶対見られない希望の詩だと思います。
 私はこれを支えにして13年、高校時代から20年間、頑張ってまいりました。
紙風船
 皆さんも苦しい時、つらい時もあると思います。
希望を持って生きていきましょう。
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